偽史邪神殿

なんでも書きます

サーシャ・フィリペンコ『赤い十字』感想 / 赤黒いファミリーヒストリー

 

「もしこの惨状を全世界に知らせなかったら、半世紀後には自らの意思でシャベルからものを食べようとする人間が出てくる。
(…)その人たちが囚われているのはもはや収容所ではなく、その人自身なんだからね」(P175)

 

 

 ロシアからベラルーシの首都ミンスクに移住してきた語り手サーシャは、アパートの隣の部屋に住む老婆に話しかけられる。老婆の名タチヤーナ。90代で、アルツハイマー病を患っている。彼女は自分の部屋がわからなくならないようにするため、アパートの共用部分のドアに「赤い十字」を勝手に書き込んでいた。

 老婆はなかば強引にサーシャに話しかけ、頼まれてもいないのに自らの半生を語りだす。ロンドンで生まれ、モスクワに移住した少女時代。ソ連黎明期から第二次大戦までの激動。言語が得意で外務省にて働いていた彼女は、日夜外国から送られてくる文書の翻訳作業に従事していた。そしてある日、赤十字から送られてきた捕虜のリストに自分の夫の名前を見つける。ロシアにおいて捕虜は裏切り者も同じだ。夫が捕虜になったと明らかになれば、自分や娘はどんな目にあうだろうか。彼女はそのリストを翻訳すべきかどうか苦悩しはじめる──。

 

 歴史の証言者である老人の語りと、現代の青年である主人公の日常とが交錯する物語だ。同じような空気を持った作品としては、エマヌエル・ベルクマンの『トリック』や、ベルンハルト・シュリンクの『オルガ』が思い浮かぶ。しかし本書はそれらと共通したところがありつつも、もっと淡白で簡潔であり、感動よりもやるせなさのほうが色濃い。それというのも、本書で描かれている出来事がすでに通り過ぎた「歴史」などではなく、現に今ここにある「現在」だからだ。

 作者のサーシャ・フィリペンコはベラルーシ出身の反体制派作家。デビュー作『理不尽ゲーム』の帯に書かれた「目を覚ますと、そこは独裁国家だった」という一文を知っているひとは多いのではないだろうか。*1恥ずかしながら私は『理不尽ゲーム』を読んでないのですが……。

 本書はソ連赤十字の間で大戦中に交わされた(というより赤十字が一方的に送りつけていた)文書が発想の元になっている。捕虜を見捨てて、赤十字との対話を徹底的に拒んだロシア側の対応が、本書で描かれる悲劇に繋がっていく。日頃、一職員としてロシア政府で働いていたタチヤーナが、突然、究極の選択に迫られるというストーリーはきわめて残酷だし鮮烈だ。

 作者は可能な限り物語の贅肉部分を削り、歴史の芯をえぐり出そうと心がけている。そのおかげで、読者は老婆の語る歴史の物語に没入することができる。彼女の物語は単に悲惨なばかりではない。歴史の中で彼女が何に心を惹かれ、何を重んじて生きていたのか。そして何より、彼女は進行していくアルツハイマー病と戦いながら、どうしてこれほどまでに克明な記憶を持ち合わせているのか。それらが読者にも少しずつわかるように書かれている。

 終盤の展開はミステリー的でもある。数奇な人生を歩んだ老婆は、十字架を背負ってその後半生を生きた。語り手が彼女の人生の行く末と、隠された真実にたどり着く場面には、感動とも悲哀とも違う感情が伝わってくる。伝わってくるのは、これを読まされている私たち自身の肩に載せられた十字架の重みだ。

 ある意味で聖書的な物語でもある。けれども説教っぽかったり、教訓めいていたりするわけではない。タチヤーナが苦しみの中で見出した「神」の姿が、ひとりでも多くの読者に伝わることを願う。

 

 

 

*1:これ