偽史邪神殿

なんでも書きます

『クロック城』に囚われている

 

 あまりにもこのページを放置しすぎたため、今回の更新は208日ぶりの更新となる。(型通りのオタクならここで「2億年ぶり」だとかなんとか適当な誇張をするところであるが、筆者はそのようなことはしない。筆者はオタクではないので)。

 さすがにこのまま腐らせておくのももったいないのでなんか書くか〜、とは度々思っていたものの特に書くことはなかったのでなあなあになっていたが、今日10月6日は霧切響子さんの誕生日であるし、北山猛邦先生の話などを書こうかと思う。

 思えば折に触れて北山作品について言及してきたような気がするが、まとまった文章として作品について語ったことはなかった。ぼちぼち「ダンガンロンパ霧切」シリーズも完結しそうな空気感を出しているし、改めて北山作品についておすすめするタイミングとしてはちょうど良いかもしれない。そういうわけで、今回は北山猛邦のデビュー作『『クロック城』殺人事件』(以下「『クロック城』」)の話をしよう。*1

 

『クロック城』殺人事件 (講談社文庫)

『クロック城』殺人事件 (講談社文庫)

 

 

終焉をむかえつつある人類の世界。探偵・南深騎みきと菜美の下に、黒鴣くろく瑠華るかと名乗る美少女が現れた。眠り続ける美女。蠢く人面蒼。3つの時を刻む巨大な時計。謎が漂うクロック城に2人を誘う瑠華。そこに大きな鐘が鳴り響いたとき、首なし遺体が次々と現れた。驚愕のトリックが待つ、本格ミステリ。(本書あらすじより)

 

  なお、以下の内容は当然『クロック城』の展開について触れている。本格ミステリとしての謎解きやトリックに関わる部分(密室トリック、犯人など)については一切ネタバレをしていないが、ストーリーについては結末まで言及する。この文章を読んだくらいで、興が削がれるような本ではないと思うが、事前知識なしで読みたいという方は以下を読まないことをすすめる。

 また、以下では作品名を指す「『クロック城』」と、作中の城の名前を示す「クロック城」を表記分けする。文中で指し示すページ数は文庫版のページに拠る。

 

名探偵の不在

 この物語には名探偵が登場しない。

 本書は明らかに「城」を舞台にした古風な館ミステリをベースにしているし、密室殺人や頭部のない遺体など本格ミステリらしいガジェットに溢れているのに、どうも明確な名探偵が登場しないのだ。北山猛邦という作家は麻耶雄嵩のアプローチを受け継ぎ、かなり自覚的に名探偵の在り方を模索しているため、ここで名探偵が登場しないというのは注視すべき事実だ。*2

 もちろん主人公の深騎は探偵だが、その業務は「幽霊退治」という特異なものだ。事件の捜査をしたり怪異の探索をやったりはするものの、実際に殺人事件に際して快刀乱麻を断つ推理ができるわけではない。それどころか、深騎が進行する事態に為す術もない強烈な無力感を抱くことが、物語の重要な因子になっている。

 では他に名探偵に相応しい人物がいるだろうか。登場人物紹介も兼ねて、各キャラクターを見ていくとしよう。

 〈第三の天使〉クロスを名乗る人物は、世界滅亡を回避するために奔走する「十一人委員会」のメンバーだ。白ずくめの派手な衣装といい、クールな立ち居振る舞いといい、名探偵の称号に相応しいカリスマを持つキャラクターに見えるが、彼の目的は事件の解決よりも人類の救済という点にあり、実際彼が事件を解決するわけではない。

 クロック城に住まう黒鴣家の人びとの中には、名探偵と呼べる人物はいないだろう。彼らが作品の解決に大きく介入したり、といったことはあるものの、それは必ずしも純粋に事件を解決するために取られた行動ではない。

 民間セキュリティ会社「SEEM」は、クロスたち十一人委員会とは別のやり方で世界滅亡を回避しようとするが、そのやり方は非常に暴力的。当然、彼らの中に名探偵を見出すことはできないだろう。

 志乃美しのみ菜美なみは、深騎の幼馴染であり作品のヒロインのひとりだ。そして、作中で最も「名探偵」らしい行動をするのは彼女である。

 事件の不可解な謎を解き明かし、最後の最後に至るまで深騎に正しい道を示し続ける。そんな菜美の姿は私たちが普段思い描く名探偵の姿に近い。しかし、彼女が探偵を名乗ることはないし、また次項で説明することだが菜美はある特殊な事情を抱えている。

 

ゲシュタルト欠片かけら

 作中重要なキーワードとして登場するのが「ゲシュタルトの欠片」だ。これはある種の幽霊であり、深騎が幽霊退治をしているのも、彼がこの「ゲシュタルトの欠片」を視認し攻撃することができるからである。

 ゲシュタルトとは主に心理学や現象学で用いられる「全体」の理論である。(中略)個々の事象が織り成す形態。様々なものが総合されて「全体」になる時、幻の如く一つの形が生み出され、脳に知覚される(16ページ)

 ゲシュタルトの欠片は、場の全体の雰囲気によって生成されるものであり、一般には幽霊として解釈されている…………作中ではそのように説明される。

週末に起きる事件の幾つかは、〈ゲシュタルトの欠片〉を表出させ、事件を一層混沌とさせていた。深騎はそれらを解決していくうちに、ある時、自分に〈ゲシュタルトの欠片〉を消滅させる能力があることに気づいた。深騎自身が場の一要素となることで、そこに浮かび上がる「全体」に変化をもたらすのである。(17ページ)

 これは深騎の能力についての説明だが、作中における深騎の立ち位置を考えるうえで非常に重要な部分でもある。彼は「場の一要素となる」ことで、ゲシュタルトの欠片に影響を与え、それらを消滅させて世界の秩序を回復することができるのだ。

 そして、この能力ゆえに深騎はクロック城の「内部」に入り、内側から事件を解決しなくてはいけない必要性に迫られる。

 もうひとつ、抑えておかなくてはいけないことがある。それは菜美が一種のゲシュタルトの欠片として描かれていることだ。彼女は実体を持っていて普通に生活し、他の登場人物たちと自在に会話を繰り広げるのだから、明らかに普通の幽霊とは異なっている。しかし彼女は、深騎と寄り添うために自らゲシュタルトの欠片となることを選んだ過去がある。*3

 このため、菜美はひとりの独立した人格であると同時に、深騎の記憶から生じたゲシュタルトの欠片でもある、という特異な状況が生まれている。設定が雑ではないか、という話は置いておくとして、以降では菜美のこの奇妙な立ち位置にも注意して読解していきたい。

 

狙撃手と探偵

 狙撃手は北山猛邦が好んで登場させるキャラクターである。『つめたい転校生』(KADOKAWA)にはずばり「かわいい狙撃手」という短編があるし、『ダンガンロンパ霧切6』(星海社)ではスナイパーたちの対決が描かれている。探偵ほどではないが、狙撃手も北山作品において非常に大切なキーパーソンとなるのだ。

『クロック城』においても脇役ながらスナイパーが登場する。SEEMのメンバーである東錠だ。

 クロック城の外壁には過去・現在・未来を表す三つの巨大な大時計が並んでいるが、作品後半においてSEEMがクロック城の事件に介入しようとする際に、彼は城の大時計のひとつ「現在の時計」を狙撃してその戦端を切る。ここから物語は一気に破局と絶望に満ちたクライマックスへ雪崩れ込むわけで、つまり東錠の役割は極めて重要だ。

 主人公・深騎も幽霊退治のためにボウガンを用いる。彼もある部分では「狙撃手」としての素質を持っているというわけだ。そしてこの項では、東錠との比較を通して深騎の在り方を探っていく。

 ここで一度、「狙撃手」とはどういう立場なのかを考えてみたい。

 狙撃手は、遠距離から的確に目標を撃ち抜くことができる。

 北山作品を語るうえで欠かせないのが高度な物理トリックだ。そして、銃火器やボウガンのような飛び道具もまた「遠方にいる相手を確実に攻撃する」ことができる一種の物理トリックと云えよう

 ここで特に重要なのは、こうした飛び道具が、直接殴る蹴るの暴行を加えるのとは一線を画した攻撃方法である、ということだ。例えば、銃火器の大量生産は戦場の兵士個人から「合戦の技術」を無用のものとした。*4その背景には、これらの飛び道具が「加害者の行動」と「被害者の傷害」という二項の間に物理的にも心理的にもある種の断絶を生み出した、という事実があるだろう。

 物語に立ち返って考えてみよう。深騎はクロック城の内部で事件に巻き込まれ、閉塞的な状況の下で様々な困難に立ち向かわざるをえなくなる。一方、狙撃手の東錠はクロック城の外部から狙撃を行い、SEEMの介入を可能にする。両者は極めて対照的な立場にあることは自明だ。

 深騎も東錠も、世界の終焉に対してはほとんど興味を払っていない。加えて深騎も本来的にはボウガンを使って幽霊退治を行う「狙撃手」である。ではどこで、二人の命運は分かれ、深騎だけがクロック城の内部に囚われることになってしまったのだろうか。

 まず、先述したように深騎はゲシュタルトの欠片を消滅させるため「場の一要素」となる必要がある。そのため、探偵として幽霊退治を行う以上、彼は城の内部に居続けなくてはいけない

 そして第二に、ゲシュタルトの欠片が場の空気感の「全体」によって作り出されることに注目したい。なぜ、先程引用した本文の中で「全体」という言葉が鍵括弧付きで表現されていたのか。

 ゲシュタルトの欠片を消滅させるうえで、深騎は場の一要素とならなくてはいけない他に、その場の「全体」を視野に収めなくてはいけない。なぜなら、ゲシュタルトの欠片とは「個々の事象が総合され「全体」になる」ときに発生するのであり、それを目撃するためにはやはり事象の全体を見渡してなくてはいけないからだ。

 これに対して、狙撃手・東錠は「全体」を見る必要がない。彼が見るべきはスナイパーライフルのスコープの狭い視界から見える「目標物」だけだ。この点においても東錠と深騎の在り方は決定的に異なってしまっている。

 そして、深騎は作品中盤でクロック城の幽霊少女「スキップマン」を退治するにあたり、ボウガンは使わずあえて素手で扼殺することを選ぶ

深騎は〈スキップマン〉の首を掴んだ。

感触はなかった。けれど、冷たく、細く、この世でもっともつややかなイメージ。深騎は確かに、彼女の首を掴んでいた。(288ページ)

 この瞬間において、完全に深騎は狙撃手ではなくなったのだ。深騎のこの行動については次項で再考するが、とにかく彼が自らの手で幽霊を葬ったことが、彼が外部からの「狙撃手」ではなく内部から事件に介入する「探偵」とならざるをえなかった事実を強く示している。

 

破壊された時間

 ここで作品の中でも最も大きなテーマのひとつ、「時間」について触れたい。

 世界が終焉に向かう中、各地では磁気異常が発生しありとあらゆる時計は狂い始めてしまう。そんな中で人里離れた地に建ち、正確な時を刻む大時計を有するクロック城は、「時間」という概念にとってのいわば最後の砦であったと云える。

 先述のように、クロック城の外壁には三つの巨大な時計が設置されている時計はそれぞれ「過去」「現在」「未来」を表し、正しい時刻を示す「現在の時計」以外はそれぞれ前後に十分ずつずれた時刻を示している

 東錠によって「現在の時計」が狙撃され、事件を穏便に解決する試みも世界滅亡を回避する試みも挫折し、物語はそのまま終わってしまう。その後、世界が滅亡したのか、あるいはひとびとの努力が奏功して世界が救われたのか。それは永久に決定されないまま、深騎と菜美、そしてわれわれ読者は壊れてしまった現在の中に取り残される。

大時計は無事だったが、もう時を刻んでいなかった。『クロック城』の死だ。(370ページ)

 そもそも物語冒頭から、世界が終焉の危機に瀕していることは語られている。『クロック城』の物語においては、初めから未来などなかったのだった。しかし城内で事件が起こり、様々な勢力の闘争が起こった結果、正しい時を刻み続けてきたクロック城の時計も完全に停止し、あたかも時計が壊れてしまうように未来のみならず現在も壊れてしまう

 現在とはひたすら移りゆく時間の流れそのものだろう。もし「現在」も「未来」も消滅してしまったら、そんな世界に存在するのは永久に変化しないまま保存された「過去」だけになってしまう。それは云わば化石のようなものであり、ここまで考えると幼い日の深騎と菜美の出会いのシーンが新たな意味を持って立ち上がってくる。

「化石を探しているの」

 菜美は答えた。(中略)

「この公園は、海岸に近い土砂を使っているのよ。だから貝殻の化石がよく見つかるの」(174-175ページ)

  そして、作中において「時間」と相通ずる概念として描かれるのが人間の体内時計を象徴する「眠り」という行為だ。「時間」が壊れてしまったら、「眠り」も壊れてしまう。「壊れた眠り」とはすなわち永眠に他ならない。

 ここで、「スキップマン」を扼殺した深騎の行動を再考する。ゲシュタルトの欠片を自らの手で葬ろうとする行為は、同じくゲシュタルトの欠片となった菜美の記憶と決別しようとする行為であることは容易に想像できる。かつて菜美に対して何もできなかったことへの自省もあるだろう。この時点では、深騎は自らの手で過去と決別し、事件の解決を試みようとしていたのだ。*5

〈スキップマン〉は幼い頃の菜美に似ていた。菜美も昔は髪が長かった。(288ページ)

 しかし、その試みは終盤になって致命的な挫折を迎えてしまう。かつて菜美を失ってしまったように、深騎は失敗を繰り返してしまう。 やはり未来への道は絶たれていたのだ。

 

「おしまいの瞬間、私たちは一緒にいられるのかな」

 冒頭の疑問に回帰する。なぜ、『クロック城』には名探偵が登場しないのか。

 答えは簡単。必要ないから。名探偵にも事件を解決することができないからだ。

 本格ミステリのひとつのテーマとして、「事件の真相が明かされたからと云って、それが望ましい結果につながるのか」という問題があるだろう。「真相の解明」と納得のいくハッピーエンドとしての「事件の解決」は、必ずしも両立するものではない。「真相の解明」がむしろ不幸な事態に直結することもあるし、むしろ真相が秘匿されることによって「事件の解決」が訪れることだってあるだろう。

『クロック城』においては、「真相の解明」はあるが「事件の解決」はない。

  なぜか。個人の力では世界の終焉を阻止することなど到底できないからだ。十一人委員会やSEEMなら、あるいはできるかもしれない。けれどひとりの探偵風情が、たとえその探偵が名探偵と呼ばれるほど優れた人物であったとしても、世界を救うことなどできるはずがないのだ。

 個人は世界の強大な流れに立ち向かうことはできない。『クロック城』ではその無力が繰り返し繰り返し描かれる。深騎はかつて菜美を失ってしまった反省から事件の解決を試みるが、殺人は連鎖し、事態は救いのない結末へと向かっていってしまう。クロック城は破壊され、未来のみならず現在までも失われてしまう。

「僕に救いを期待しないでくれ」(243ページ)

 そうした悲劇的な、救いのない結末の末に深騎は何を見るのか。クロック城に向かった前と後で、彼がなにかを失ったのかと云えばそうではないだろう。彼は抗えない世界を見せつけられただけとも云える。

 絶望に満ちたクライマックスの先、菜美は無力感の中で自暴自棄へ陥った深騎を救うため真相解明を行う。菜美が深騎の記憶や過去を象徴する人物であることを鑑みれば、この真相解明は深騎の精神の内部で起こった出来事として捉えることもできる。

 そして菜美の推理を受け、深騎はみずからの在り方を見出す。そこには一切の救いなどない。未来は当然ありえないし、現在すらもおぼつかない状況だ。これを「解決」と呼ぶのはさすがに無理があるだろう。

 けれど、そんな真っ暗な世界の中、すべての希望が失われたわけではない。そのささやかな、本当に弱々しい光が、この物語を強烈に魅力的なものにしている。

 

 そしてなにより、北山猛邦の物語はここから始まったのだ。

*1:今回はミステリ的な仕掛けにはほとんど触れず、ストーリーやキャラクターに焦点を絞って書いているが、本格ミステリとしても最高に素晴らしい小説であることは付言しておきたい。

*2:『『アリス・ミラー城』殺人事件』や『ダンガンロンパ霧切』シリーズには数多くの「名探偵」が登場するし、『猫柳十一弦』シリーズや『音野順』シリーズは古典的な名探偵像とは別の名探偵像を模索する試みと云える。

*3:正直なところ、この辺りの設定はぼかされているのであまり掘り下げたくないが、同時に深騎の心理に大きな影響を与えている部分でもあるので触れざるをえない。特にデビュー当初の北山先生は特殊設定というものをあまり自覚的に導入していなかった節があり、本書には設定が詳細に描かれない部分がある。

*4:より丁寧に書くなら、戦争の技術が「他者を直接的な暴力によって制圧する」ということから、「的確に目標へ弾を打ち込む」ことに変化した。

*5:もともと深騎が城にやって来たのはスキップマンを退治するよう依頼を受けたからであったが、実際にスキップマンを退治するのは依頼人の瑠華が依頼を取り下げたあとだった