偽史邪神殿

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法学雑誌と昭和のミステリ作家たち

 佐野洋高木彬光和久峻三、夏樹静子、連城三紀彦……昭和に活躍した偉大なミステリ作家たちの名前をご存知だろうか。そしてかれらが法学専門誌に寄稿していたことを。

 『ジュリスト』『判例タイムズ』など、世間には法学の専門誌というのがいくつもあるが、そのなかでも学生向けに発行されているものがある。もっとも有名なのは、有斐閣の『法学教室』と日本評論社の『法学セミナー』である。誌面の内容としては基本法の論点解説や問題演習、近時の重要判例の紹介などが主だが、これらの専門誌の記事も時代によって変遷を遂げてきた。特に、1980年代をピークとして、推理作家・推理小説を扱った記事が多く見られることは注目に値する。本稿では、これらの記事を概観しつつ、昭和の推理作家・ミステリ作家の横顔に迫っていきたい。

1.『法学教室』とミステリ作家たち

 『法学教室』は『ジュリスト』別冊として1961年から発行されている。出版元の有斐閣は、公式サイトによれば1877年に創業し、四書の「大学」を典拠に「斐(あや)なる君子有り」との意味で命名されたという。法学書の出版元としてはもっとも有名な会社のひとつであり、『ポケット六法』『判例六法』なども有斐閣が毎年出版している。

 『法学教室』の連載として、かつて「随想」というコーナーが存在した。これは創刊時から1993年ごろまで続いていたものであり、法曹関係者のみならず広く著名な文化人が1頁程度(初期には2〜4頁だった)のエッセイを寄せるというものであった。

 個人的に興味をひかれる書き手を挙げると、石牟礼道子戸田奈津子石川達三近藤富枝種村季弘などが「随想」に寄稿していた。真面目な寄稿者であれば法学に絡めた話を書いてくるのだが、まったく自由に書いている作家も多かった。

 そして、こうした面々にならんでミステリ関係者も複数寄稿していた。部分的に内容を紹介してみよう。

 

多彩な執筆陣

 多作で知られている佐野洋は、『法学教室』にも三度にわたり寄稿している。元新聞記者として現実の事件への興味が非常に強い作家だった。同じく推理作家の小林久三と松山事件について議論をしたり(1981年4月号)、裁判制度に対する疑問を呈したり(1963年第1期第7号)、現在にいたる我が国の供述調書制度の問題点を指摘したり(1974年第2期第4号)、真面目な佐野洋らしい文章が並んでいる。

 法学というと用語法が独特で分かりづらいというイメージがあるらしく、こういった問題意識で書かれた文章は妙に多かった。斎藤栄(1983年9月号)、三好徹(1981年3月号)、城山三郎(1962年第1期第5号)などはこうしたテーマで書かれていた。

 ミステリー評論家の権田萬治(1985年12月号)は、推理小説において現実の固有名詞を使うことの問題について語るという珍しい試みをしていた。これもいちおう間接的には法学にまつわる話だといえよう。

 東大医科学研究所の教授でもあった作家・由良三郎(1987年10月号)は、ボアロー=ナルスジャックの評論『探偵小説』を引用して、探偵小説が条件反射的に〝ミステリー神話〟を消費する読者の消費財に成り下がるのではないかという危惧を指摘し、粗製濫造に陥ったミステリーシーンはやがてファンを失って崩壊する危険をはらんでいると喝破していた。実に耳が痛い批評だが、なぜ文芸誌ではなく法学専門誌にこのようなことを書いたのかは不明である。

 劇作家としても推理作家としても名高い別役実(1982年5月号)は、犯罪の中にもどこか笑いを誘う要素があることに着目し、不謹慎な笑いの中にも価値があるのではないかと鋭く指摘する。固い法学専門誌にこうした文章を載せるというのは勇気のいることであり、今となっては非常に珍しい記事である。

 乱歩賞作家の佐賀潜(1963年第1期第6号)は元検察官・弁護士であり、法学関係の著書も多数ある。かれの随想においては、そうした経歴の佐賀が小説を書くにいたった経緯や、いかにして創作を行っていたのかが書かれていた。「法律家の書く推理小説は、結局、法律の穴をねらうことになる」という指摘には、佐賀自身のトライアル&エラーをも伺わせるところがある。

 

実作者の叫び

 夏樹静子(1985年4月号)は多数のリーガルミステリを書き、ノンフィクション作家としても最高裁の重要判例を紹介した『裁判百年史ものがたり』という傑作をものしている。しかし「随想」においては法学の話題を離れて、自作のドラマ化について語っていた。ここでは多数の映像化を経た夏樹静子が自作とドラマ版は別物であると読者にわかっていてもらいたかったことや、野心的な脚本だった映画版『Wの悲劇』(薬師丸ひろ子主演)に関する盗作問題への言及がある。

 傑作『弁護側の証人』によって今日においても広く知られている小泉喜美子(1982年11月号)は、名画『十二人の怒れる男』を通して法廷劇の面白さを熱弁する。法廷劇の傑作として、小説ならばレイモンド・ポストゲート『十二人の評決』、古典ならばシェイクスピアヴェニスの商人』と歌舞伎の『伽羅先代萩』、テレンス・ラティガンの演劇『ウィンスロー・ボーイ(ウィンズロウ・ボーイ)』を傑作として挙げているなど、熱意のほどが伺える。一方で、自身がオマージュしたクリスティーの『検察側の証人』については「ほんの些細なひっかけトリックで判決がひっくり返るアイデアで、本当の意味の法廷ドラマの妙味とはややずれる」「『弁護側の証人』は、そのまた子分みたいなもの」などと書いており、法廷劇への深すぎる理解ゆえか、あえて突き放した表現がなされている。

 小泉は法廷劇の面白さについて、小泉は「厳正なルールの下」で各当事者がそれぞれ固定された〝役柄〟を演じ、「舞台の上で洗い上げられた言葉(略)を駆使して丁々発止と人知の闘争をくり拡げるところにある」と語る。そしてさらに、「バカみたいなメロドラマや子供だましのアクション物、人情べったりのホーム・ドラマ物しか楽しめない人には向かないが、好きな人にはたまらなく面白い」と続ける。勢い余って際限なく口が悪くなっているが、小泉のマニア性が見える良い文章だ。

 

本格ミステリに向けた視線

 連城三紀彦(1993年8月号)は、筆者が確認したかぎりで「随想」の最後の執筆者である*1。連城は自身が法学の知識のあいまいな状態で推理小説を書いていることについて「法律無知罪」と呼んで自戒したうえで、自身の実作をいくつか挙げて、作品を書くうえで弁護士や元刑事に質問したことを書いている。ここで挙げられている作品は、「二つの殺人事件を東京と伊豆で同時に起こす男の話」、「時効トリック」、そして「轢き逃げ事件」である。時効と轢き逃げに関しては筆者の不知と情報不足によりわからなかったが、一番目の作品は間違いなく「夜の二乗」(『美女』収録)である*2

 連城はみずからに対する言葉として「そんな程度の法律的知識で犯罪にまつわるミステリーを書き、誤った知識を読者に提供しているかもしれないこと自体、罪であろう」と述べている。至言である。

 似たようなエピソードとして、山村美紗(1982年10月号)は、自作において厳密な法律考証を行うことの難しさをコミカルに書いたうえで、「この随想を読んだ方が、弁護士になられたら、私のブレーンになって下さらないかしら」とまとめている。その後、山村の法律考証を担った者はいたのだろうか。

 興味深いのは、この記事の冒頭で山村が「最近の推理小説は、SF小説のように、荒唐無稽というか、全く架空の世界を扱ったもの」と「リアリティを重視した警察小説など」の両極端に分かれていると述べたうえで、「私は、本格推理を書いているので、どうしても、後者のリアリティを要求される」と書いている点である。近年の国内・本格ミステリシーンにおいては虚構性の高い作品が多く著されているが、山村が書くように、本来において本格推理というのは現実社会のほうに軸足を置いたものではなかったのだろうか。本稿の主題とは離れるものの、この点は十分考察に値する。

 泡坂妻夫(1987年12月号)は、奇術師としての知識を活かして「チップペン」という奇術材料について語り、さらに米国のミステリ作家クレイトン・ロースンの話に繋げていく。まったく法学とは関係がない話である。とはいえ、このあまりにも趣味的なエッセイの見どころは掉尾にある。泡坂妻夫はこのように書いている。

奇術の発想でミステリを書いたロースンは、私の大先輩に当たるわけだが、最近、若い人でそういう作風を志す人が出て来ていて、将来が楽しみである。

 簡潔な文章だが実に示唆的である。およそミステリマニアがチェックしていないであろう雑誌において、こんなふうにさり気なく後輩作家をフックアップする泡坂の心意気と愛を感じる。

 なお、無粋を承知で付言すれば『十角館の殺人』が講談社ノベルスから発表されたのはこのエッセイの約3ヶ月前(1987年9月)である。

 

 

2.『法学セミナー』とミステリ作家たち

 『法学セミナー』は『法律時報』学生版として1956年4月から発行されている。その沿革については日本評論社のウェブサイトに詳しい。日本評論社はほかに『数学セミナー』『経済セミナー』を発行している。

 

和久峻三と『法学セミナー』の深い繋がり

 『法学セミナー』と最も縁の深い推理作家は和久峻三である。和久は佐賀潜同様に弁護士と作家を兼業した書き手であり、代表作としては自身の知識を活かして書かれた赤かぶ検事シリーズが挙げられる。その著作数は膨大で、2023年現在においてもBOOKOFFに行けば大量の和久作品を目にすることができる。ちなみに、和久の実弟グレーゾーン金利判決や東京都管理職選考拒否事件判決(反対意見)などで知られる最高裁判事・滝井繁男である。

 和久は特集「小説に学ぶ」にて、作家の立場から「小説と法律」という随筆を寄稿したり(1982年10月号)、連載「今月の人」にて紹介されるなど(1989年6月)、とかく登場回数が多い。なかでも重要なのは1985年4月号にかけて断続的に掲載された連載小説「法廷小説 判決」である。これは法廷サスペンスに専門的な解説を加えたもので、小説を通して法律を学べるようにしようという試みとして書かれたものであった。後にも先にも『法学セミナー』において連載小説が掲載されたことは他にないはずである。和久峻三短編リストによると同連載はその後、『離婚願望』『血塗られた相続人』『死刑台の女』『許された殺意』に分割して収録されたようだが、詳細は未確認である。

 また、変わった試みとして、和久峻三の長編『沈め屋(シンカー)と引揚げ屋(サルベージ)』を事例問題として読み解く記事が1998年3月号に掲載され、その後、単行本『人間ドラマから手形法入門』(奥島孝康・高田晴仁[編])に収録された。『沈め屋と引揚げ屋』は手形犯罪を正確にわかりやすく扱った書籍として高く評価されていたらしい。同書では和久の小説のほかに漫画『ナニワ金融道』が事例問題として扱われている。なお手形・小切手法はこれまでほとんど改正されておらず、2023年現在にいたるまで全文カタカナが貫かれている考古学的法律なので、上述の各書籍は今日においても有用である。*3

 

本格推理の大家との対談

 無論、『法学セミナー』に登場した推理作家は和久だけではない。

 1957年2月号で、推理作家の高木彬光最高検察庁検事だった平出禾(ひいず)との間で「推理小説と法律」と題した対談を行った。平出はE・S・ガードナーの翻訳も行っており、推理小説への造詣が深い。

 この対談ではガードナーはもちろんのこと、カーター・ディクスン『ユダの窓』、フランシス・ハート『ベラミ裁判』、さらにはクイーンの『緋文字』やヴァン・ダインの諸作などが言及されている。

 驚くのは、意外にも高木と平出の法学談義が噛み合っていない点である。高木は法学の専門教育を受けていないとはいえ、『検事霧島三郎』を書くなど比較的リーガルサスペンスを多く扱った作家である。しかし次のような会話が繰り広げられる。

高木 私はある小説を書いたのですが、女と男の二人が船に乗っていて、女は男が殺人犯人だという証拠を握っている。引きずられてついていったわけですが、女は正当防衛で先に殺そうと思う。どうせやられるのだから、こっちが先に殺した方が正当防衛じゃないかということで(略)もちろんそれは過剰防衛なんでしょうけれども……。

平出 作家は正当防衛を非常によくお使いになりたがるけれども(略)正当防衛というよりも緊急避難の方に入る。(略)緊急避難的なものを正当防衛として扱おうとすると無理ができる。

 平出はこのあとも「急迫不正の侵害」がなければ正当防衛にはならないというようなことを説明しているのだが、どうも高木はそのあたりを理解していないらしく、議論が噛み合わないまま進んでいく。そもそも、高木が想定している場面は緊急避難の局面ですらないようなのだが、平出もいいたいことが多すぎるためかそこまで指摘しきれていない。その後も全体的に噛み合わない議論が続く。

高木 それからこんなことはいかがでしょう(略)酒を飲んでいるときの罪は軽い……。

平出 法律の上で軽いとは限らないですよ。

高木 そういうことはありませんか。

平出 そういう問題の出し方では、ちょっと返事に困りますよ。法律家としては……。(笑)

 これについては平出が言っていることが正しく、高木の質問の仕方が悪いとしかいいようがない。高木がこと法学のことに関して、素人的な一面を見せるのが意外であった。ただし1957年というと高木のキャリアにおいては比較的初期になされた対談である*4ということは注意を要する。

 

読書ガイドとしての法学セミナー

 推理作家が書いたものではないものの、興味深い連載として弁護士・山本博が書いた「推理小説に見る法曹たち」という書評記事がある。これは国内外のリーガル・ミステリーを紹介するもので、そもそも文芸書の書評など載ることのない法学専門誌においてはなかなか異質な記事となっている。

 書き手が本職の作家・評論家ではないということもあって、書評に要領を得ない部分があったり、あらすじでストーリーを9割がた説明してしまっていたりなど、全体としてやや危なかしい雰囲気はある。とはいえ、紹介されている作品のチョイスなどが面白いので、ここで羅列しておく。

 E・S・ガードナー『ビロードの爪』

 ロバート・トレイヴァー『裁判』

 ヘンリイ・セシル『法廷外裁判』

 ギ・デ・カール『破戒法廷』

 シリル・ヘアー『法の悲劇』

 高木彬光『人蝋』

 松本清張『波の塔』

 小泉喜美子『弁護側の証人』

 ロバート・L・フィッシュ『懐かしい殺人』

 和久峻三『代言人落合源太郎 肌絵の女』

 アガサ・クリスティー検察側の証人

 大岡昇平『事件』

 評価の確立された超傑作からマイナー作まで、幅広く取りまとめられていて参考になるリストだ。帝国憲法発布前の弁護士の活動を描いた『肌絵の女』や、視覚・言語・聴覚の三重苦を負った人物が豪華客船の一室で血まみれの青年と一緒にいるところを発見され殺人の第一容疑者になってしまうという『破戒法廷』はこの記事ではじめて知ったが、いずれも興味がそそられる内容である。

 

 当時の『法学セミナー』には小説好きの編集者が多かったらしく、他にも小説を通じて法学を学ぼうとする特集がしばしばあった。上述の特集「小説に学ぶ」(1982年10月号)では編集部作成のおすすめ小説リストまで付されている。いくつかピックアップすると松本清張カルネアデスの舟板』『二重葉脈』、井上靖氷壁』、水上勉『海の牙』『金閣炎上』、梶山季之『黒の試走車』、半村良『軍靴の響き』、綱淵謙錠『斬』、石川達三『神坂四郎の犯罪』、加賀乙彦『宣告』、エド・マクベイン『クレアが死んでいる』、スコット・トゥロー『ハーヴァード・ロー・スクール』など。この特集は書評も含めてあまりにも力が入りすぎているので、そうとうなマニアが関与したとしか考えられない。

 また、2002年8月号では「法学を楽しく学べるミステリ」という記事が掲載されている(庄村敦子[文])。これは夏樹静子や和久峻三の著作を中心に、幅広くリーガル・ミステリーを紹介した秀逸な記事である。

 残念ながら近年の『法学セミナー』ではこうした異色の記事は掲載されていないが、いずれこのような遊びのある記事も復活してくれたらありがたい。

 

3.おわりに

 近年の『法学教室』『法学セミナー』は記事の専門特化が進み、今回紹介したような遊びのある記事は減り、そもそも法曹関係者以外が執筆する機会も大幅に減少した。時代の流れからすれば当然のことかもしれないが、一読者としては寂しくもある。近年の刊行物で遊びが感じられたものとしては『法学教室』に連載された「シネマで法学」を単行本化した『新・シネマで法学』(2014年)があるが、これも初出は20年以上前である。

 それはさておき、こうしてみてみると、昭和に活躍した著名な推理作家のかなりの部分が、なんらかのかたちで法学雑誌に絡んでくることがわかる。特に1980年代の『法学教室』・『法学セミナー』の記事は豊富で、法曹と推理文壇とをつなぐ特殊な部分社会が形成されていたのではないかとすら思える。今回はそうした社会の一端を垣間見たにすぎないが、今後も有志の手で多くの記事が再発見されていくことを望む。

 

 

 

*1:もしこれ以後の号に「随想」の記事があったら教えてください。

*2:正確にいうと伊豆ではなくて真鶴で事件が起きるのだが、おそらく連城の記憶違いであろう。また、真鶴はほぼ伊豆である。

*3:もっとも、近いうちに物理的な手形小切手が廃止されるとの話もある。

*4:高木の活動期間は1947年-1990年代で、1957年時点ではまだ弁護士・百谷泉一郎シリーズや検事・霧島三郎シリーズは発表されていない。