偽史邪神殿

なんでも書きます

ギャンブル漫画としての『根こそぎフランケン』の感想

 

『根こそぎフランケン』を、かなり面白く読んだ。

 中心人物はふたり。図体がでかくて頭は悪いが、力でねじ伏せる麻雀を打つ天才・フランケンと、頭も良いし麻雀も上手いがとある挫折体験をして以来、本気で麻雀を打っていない中年男・竹井。そこにさらに何人かの強者を絡めて話が進む。

 物語は大きくわけて二部構成で、前半が竹井の過去の因縁を決着させる「レネゲ編」、後半が竹井vsフランケンとなっている。

 

 本作の面白いところは、何人もの強者が出てくるにもかかわらずフランケンが一貫して最強であるということ、そしてフランケン自身はそれに無自覚であるということだ。なぜフランケンが強者かといえば、フランケンがこの作品でもっともピュアな存在だからだ。

 本作において繰り返し語られるテーゼとして、「強者同士が戦えば全員が真っ直ぐ打つので読み合いの要素はなくなる」「したがって強者同士の優劣は”運”で決定される」という理屈がある。実際には強者同士でも打ち筋が違う以上、読み合いの要素はあるとも思えるが、まあそれは置いておこう。

 強者同士の優劣が究極的に”運”でしか語れないとすれば、その勝負はコイントスのように単純でつまらないものになるように思える。しかし、この作品ではそうではない。なぜなら、仮に”運”があってもその”運”を信じることができるかどうかによって優劣が決まるからだ。つまり「強運を持ちそれを信じられる者」こそが真の強者であり、「強運があってもそれを信じられない者」は敗れ去ることになる。

 フランケンは己の運にすべてを委ねることができるからこそ、もっともピュアであり、神の領域の麻雀を打つことができる。

 

「おまえの言う麻雀の神様というツキをおれ達の人工的なダムが止められるのかどうかという戦いだ」

 

 本作のギャンブル哲学を読んで思い出したのは『エンバンメイズ』だった。『エンバンメイズ』にはたくさんのダーツプレイヤーが出てくるが、全員百発百中の名手である。したがってダーツだけでは優劣がつかない。そんなときにそれでも勝敗を分かつのは「迷わぬ心」である。

 話を戻そう。迷わぬ心を持つフランケンと出会い、竹井はいつしかフランケンを倒したいと願うようになる。竹井は手段を選ばない男だ。神の領域にいるフランケンを倒すために、姑息で強引な方法を使って最終決戦に持ち込んでしまう。

 もはや最終決戦における竹井の行動は麻雀打ちとしての美学もへったくれもなく、ただフランケンという神を人間に貶めるというただそれだけの行動である。その行動には読者側としても「さすがにやりすぎだろ」と思わされるし、「レネゲ」編で敵前逃亡をやめ、正々堂々の勝負に挑んだ竹井の姿と矛盾するようにも思える。

 しかし、個人的には、この竹井の行動は第一巻のころから一貫した人生観に支えられているようにも思った。竹井はもとからフランケンに対して強い劣等感を抱えていた。当初はその気持ちを無視してきた。だがレネゲでの勝負で、竹井は再び身を焦がす博打地獄の味を思い出す。ギャンブルとはどちらかが破滅するまで続けなければならない戦いだ。だからこそ、竹井はフランケンとの直接対決を選ぶ。選ぶからには手段は選ばない。どんな方法をつかってでも神を人間に引きずり落とすしかない。

 

 フランケンとの直接対決に先立って、竹井はもうひとつの因縁の戦いを経験する。それはかつて竹井を裏切った田村との対決だ。フランケンとの「神vs人」の対決の前に、「人vs人」の究極の対決を描いているのが構成として見事だよね。しかも田村はひたすら竹井に執着しているのに、竹井にとって田村は「レネゲ」編で乗り越えた敵でしかないというのもまた残酷だ。この「田村→竹井→フランケン」という矢印がまた良い。

 

 最終決戦の後、竹井はこう述懐する。

 

「あの卓上でおれ達には連帯感のようなものがあった しかしそれは決して友情とか愛情とかで表せるものではない いや…むしろ相手を思いやる事とは全く逆のものだ おれ達にあったのは相手を蹴落とそうと必死に戦った そういう共感だ」

 

 これは『麻雀放浪記 青春篇』のラスト「私は、自分の人なつこさに又驚いた。出目徳のみならず、健にも、達にも、精一杯の友情を抱いた。この、仲間のような、敵のような男たちに」の文章と通じている。『根こそぎフランケン』は物語の圧倒的な完成度という点では阿佐田哲也に及ばないだろう。だが、ギャンブルの苛烈さという点ではいっそう激しくて、テーマの突き詰め方はさらに深化していると思う。

 しかも作者である押川先生自身が、この作品を書きながらいっそうギャンブルというものへの理解を深めていったのではないか。そう思わせる迫力もある。だからこそ、本書のストーリーには奇妙な引力がはたらいている。

 

(追記)

 オモコロチャンネルで永田智さんが本作を紹介する回があるのですが、まったく同じセリフを引用して『麻雀放浪記』と重ね合わせていたので驚きました。やっぱりそう思うよなあ。