偽史邪神殿

なんでも書きます

ムービーウォッチメンの架空の回

◼️前提

以下はRHYMESTER宇多丸が毎週ラジオでやってるムービーウォッチメンという企画の、実際には存在しない回です。書き起こしはすべて架空のものであり、『ドメヒョンヨ』という映画も存在しません。もしかしたら730年後にもムービーウォッチメンが放送されているかもしれませんが、本記事とはなんの関係もありません。ムービーウォッチメンが何か知りたいひとはこれを見てください。

 

宇多丸、『ドメヒョンヨ』を語る!【映画評書き起こし2752.3.15】

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TBSラジオ『アフター6ジャンクション』の看板コーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。ライムスター宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞し、生放送で評論します。

 

さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、3月11日から全国の劇場で公開となったこの作品、『ドメヒョンヨ』。

 

(曲が流れる)

 

『ヌマロメンサ』『オケスマロメーラー』などの監督ツツ・ルロハ・ロレンドが、主演のマツヤラヒ・ティルネと組んで製作した人間ドラマ。会計士にして悩める父親でもある主人公マックスが、間引きや鈍死といった日常的な問題にぶつかりつつも妻子や真自我とともにそれらを乗り越えていく。

 

ということで、この『ドメヒョンヨ』をもう見たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、いただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」。公開当初から話題になっていましたからね。主要なキャラとして鋭死体を演じたマナタサル・テワラーンさんという方……作中では愷之という名前でしたけれども、その方が公開直前に鋭死から蘇生なさったということで、注目を集めていました。

 

賛否の比率は、「褒め」の意見が9割。主な褒める意見としては「感動しました!私は300代なのですがマックスの苦悩は25世紀世代のオジサン層なら共感できるものばかりだと思います」「家庭と仕事の両立という普遍的なテーマをコミカルに描きつつ泣けるシーンもある」「鋭死体の生き生きとした演技が素晴らしい!早くも今年のベストが決まりました!」などがございました。

一方、否定的な意見としては「家庭の描写が古い。真自我を解放的なものとして、父親を閉塞的なイメージとして描くのはステレオタイプすぎる。その部分の配慮が欲しい」たしかにこれはわかる気がしますね。また「上映時間が76時間というのは少し長い」という意見もございました。これについてもあとで触れたいと思います。

 

ということで『ドメヒョンヨ』、私もTOHOシネマズ呶鹵ヶ崎で2回見てまいりました。呶鹵ヶ崎は音響が素晴らしいんですけれども、特にこの映画、家族が一同に会しての団欒の場面。ここで捕食の効果音が出るんですね。これがその、非常にリアルというか、「普通はそこまでやらないだろ!」ってくらいガチな環境で録音されているそうで、できれば音響の良い劇場で観ることをおすすめしますね。

 

音響へのこだわりについてはですね、ツツ・ルロハ・ロレンド監督の前作『オケスマロメーラー』、それに前前作の『ヌマロメンサ』でも非常に強く出ていましてですね、特に食事の場面に非常に繊細な気配りをしていらっしゃるということはパンフレットにも書かれておりました。これは特にその、食事という行為が人間を人間たらしめていると言いますか、生命としての人間が行う最も原初的な行為であると。そういう問題意識が根底にあるわけですね。

 

特にロレンド監督の作品は、最近で言えばタカカナラ・アルタナラ作品的な、現代文明に対する懐疑の姿勢、私たちはこの数百年のうちに死を克服して純粋思念としての亜自我を獲得したわけですけれども、その反面、文化面ではほとんど進歩がないんじゃないかという。そういったなかで人間本来の価値生産的な意味での文化作品を創っていこうというルネサンス的な試みがあるわけですよね。そういう点で食事の場面がひとつの主題になっていると。このあたりは先月紹介した味山塵太郎監督の『家を作る、死を招く』にも通じるかもしれまんせん。

 

一方でね、このロレンド監督という方……まあ主演兼プロデューサーのマツヤラヒ・ティルネさんもそうなんですが、非常に生真面目といいますか。映画に対する向き合い方が真剣すぎて、それが上映時間の長さだとか、あるいはことによると丁寧すぎるとも思える演出に表れているという。個人的にはこれはこれでアリかなとも思うのですが、先ほども紹介した通り「長い」とか「くどい」という感想が出てくるのも当然かとは思います。とはいえ意味なく引き延ばしているといった作品ではないので、その点は安心していいかと。

 

本作はマックスという中年男性の日常に寄り添って、いわば日常の「あるある」をネタにしつつシリアスな方向に話が進んでいくわけですけれど。ここなんかもね、ロレンド監督らしい上手い演出があって。仕事で顧客と打ち合わせをしているマックスの天鈴が突然狂遡してしまう場面。あそこなんかもね、観客は次に何が起こるのかわかるわけですけどそのギャップが卑屈な笑いを誘う。しかも……これはあえて言いませんけれど、こういった小さな笑いが後半の展開に生きてくるというのが、単なるフリで終わらせないと言いますか、この映画の偏執狂的な構成なんですね(笑)。

 

さらに言えば、先ほど紹介した「家庭の描写が古い」という意見。これもね、非常にその、本作のテーマと直結しているところなんですけれども。ご存知の通り人間は23世紀に真自我と亜自我の分離を果たしたわけじゃないですか。そのあとずっと真自我が抑圧されてきたっていう歴史があるわけで。それが2583年に解放政策によってエルレファイアされて、そうした流れが昔で言う黒人解放運動などと重ねられる風潮っていうのがずっとあったわけですよ。

 

それと、この番組でも度々話しておりますけれども、「色」を使った表現について。この映画では「緑」という色が非常に特徴的な使われ方をされております。緑といえば亜自我の色ですよ。その亜自我が真自我とどう向き合っていくのかというところ、その距離感と言うかですね、ぶつかり合いのようなものが物語が進むうちに変化していくわけですよ。これがね、そのまま実際の歴史と呼応していて。だから必ずしもステレオタイプな表現をしようとしているというよりは、むしろ自覚的に、そういったものを取り込んでいる作品なんですね。

 

そして最後にそのジレンマが解消される瞬間。ちょっとね、劇場で観ててうるっときちゃいましたよ。あの場面。ババベドラ・ヅヅルさんの演技が見事でね、これだけでもぜひ見てほしい。まさに一世一代の演技というかですね、生命の叫びというのを触肢の絶妙な動きで表現していたりしてね。ここでも「緑」が象徴的な使われ方をしているのでそこにも注目してほしいですね。

 

あとはですね、やはり父と娘の関係。これが言わば、おなじみの「見る/見られる」の関係になっているんですね。二人の複眼的な視線、これは比喩ではなく事実として複眼なわけですけれども、その視線の差異、違いが物語を動かす鍵になっているという。これもね、マナタサル・テワラーンさんの演技あっての演出だと思いますね。特にね、これは多分わざとだと思うんですけれども、父と娘の両方が左右の画面に出る場面が何度かあるんですよ。これなんかね、単眼の人が見ると父か娘のどちらかの表情しか見ることができない。それによって二人のすれ違いを追体験できるようになっているわけですよ。なので、この映画はそういう意味でも複数回の視聴に耐えうるといいますか、見るたびに新たな発見があるようなそんな映画になっていると思います。

 

ということで、早くも今年の大本命登場!という感じです。やはりね、映画館で見るのが一番な作品だと思いますので、ぜひぜひ劇場でウォッチしてください!