ミッドサマー メモ / MIDSOMMAR MEMO

 映画『ミッドサマー』を観ました。

 鬼気迫る演技に見せ場のある作品なので、人間ドラマについては見れば分かる。云うことなし。でも結局、映画の中では「ホルガ」という空間のシステム自体は外側から解体されなかったわけで、しかしネットにあふれる考察を見てもあんまりそういう見地で観ているひとがいなさそうだし、思ったことを書いてみる。

 以下は特にまとまった論述でもなんでもないのでせいぜい「メモ」程度ってことで。劇中でジョシュが書いてたメモもこういうものだったかもしれない。しらんけど。

 当然ながらネタバレは含むけど、ドラマについては掘り下げない。*1

 

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①周期性

 やっぱりいちばん気になるのは周期性だ。

 ホルガの人々は18歳を一単位として、「〜18歳」「18〜36歳」「36〜54歳」「54〜72歳」という四区分に分かれている。各年齢は春夏秋冬に喩えられており、冬の季節の最後である72歳を迎えると必ず死ぬ。

 年についてもうひとつ重要になってくるのは「90年に一度の祝祭」というギミックだ。夏至祭自体は毎年やってるはずだけど、90年に一回だけ劇中で描かれた大祝祭が行われる。*2

 ここまで踏まえた上ですぐ分かるのは、「大祝祭を経験できるのは生涯で多くとも一度きり」であるということ。ホルガの人々は73年以上生きることがないため、ましてや90年に一度の大祝祭を二回経験することは不可能だ。なんなら一度も経験しないで生涯を終える可能性すら十分ありうるわけで。

 でもここで不思議なのは「どうして大祝祭が72年に一度じゃないの?」というところ。先述の通り、ホルガにおける一生72年間は四季として捉えられており、90年という数字はその四季の「外」にはみ出している。18の倍数という規則性は保持されているものの、やはりここで「90」という数字が導入されている意味がはっきりしない。別に90ってそんなにキリの良い数字でもないし……。

 

②人口管理

 この問題はひとまず脇においておいて、そもそもホルガという村でどのようなシステムがいかなる理由で稼働しているのかを考えなくてはならない。

 明白なのはホルガにおいて非常に厳格な人口管理システムが敷かれており、妊娠・出産と老人の死、そして時折行われるであろう「剪定」は宗教的儀式の中で制御されている。ホルガのような僻地の小村*3においては、人口管理が生き残りの策であることはよく分かると思う。*4

 というか「くじ」が出てきた時点で「シャーリイ・ジャクスンじゃん」ってなったよね。

 

夏至

 もうひとつ気になるのは夏至冬至だ。北欧のホルガで冬至を祝う文化があるとは思えないけど、夏至祭の衣装を冬至のときも着ることは劇中でも言及されている。とはいえやはり「祝祭」の季節は白夜の夏がふさわしい。そして夏至の祭において、生と死を共に扱うこともまた必然的だ。*5

 夏至祭の本質は生命を祝ぐことにあるホルガ村民が厳しい自然と戦い、その存続を勝ち取ってきたことは熊のモチーフをめぐる扱いを見れば分かるし、そういった背景があるからこそ、彼らは大地と自然に敬意を表しつつ生命を祝ぐ。そして祝祭における生贄は決して虐殺ではない。

 例えば、終盤のあるシーン。熊の内蔵を取り出す解体方法を大人が子供に教える場面を思い起こしていただきたい。なんとも猟奇的で狂気をはらんだ印象の場面ではあるが、冷静に捉え直してみよう。畜産はホルガにとっておそらく農業と並んで重要な営みのひとつであり、動物の内蔵を適切に取り出す方法を学ぶことは、彼らにとって生活の要請上ぜったいに必要なことだ。*6夏至祭という「ハレ」の場のある種「戯れ」じみた行為を通じ、子どもたちはその技術を学ぶ

 こうした特徴は他にも見受けられる。花を後ろ向きに摘んでいく場面はまさに「農作業」の場面そのものだし、村人たちが各自オリジナルの刺繍・デザインを施した衣服を身にまとって祭に参加する様子は背景に「裁縫・服飾」の作業があることを想像させる。*7このように夏至祭にはホルガ村民の「生活そのもの」といって良いような重要な営みのカリカチュアが存在しており、まさに夏至祭自体がホルガで生活する上での知恵が詰まった行事であることを見て取れる。

 

④要するに

 というあたりのことを考えた上で、夏至祭で何が行われているのかを整理してみる。

 理屈で考えて、おそらく老人の自害行為は例年の夏至祭で行われているはずであり、「90年に一度の大祝祭」の特徴は「A.外部から子種を用意する」「B.内部の人口を調整する」という二点に集約される。これら(A B)を、ホルガの72年周期が一巡りするたびに(正確には90年周期で)行う、つまり世代が一巡りするごとに行うということは理にかなっていると言える。

 まとめるとこうなる。

 ・恒常的な人口管理

   老人の自害、共同体に承認されていない生殖の禁止

 ・90年に一度の調整

   外部からの男子の招聘(拉致)、生贄

 でもこれを見ると「90年に一度の生贄ってほんとに効果あるの?」という気もしないではない。毎年のようにやっているのであればジャクスンの「くじ」効果が期待できるだろうけど……。こうしてまた①で述べた「90年周期の意味とは?」という問題に戻ってきてしまう。

 おそらく③で言及したような夏至祭の営みというのはたぶん90年周期とは無関係に毎年行われているはず(べき)ものだ。*8こうなってくるとますます90年に一度という意味が分からなくなってくる。先述のAがやはり最大の理由になってくるだろうけど、でもこれは夏至祭以外のタイミングでやってたとしてもおかしくない気がするし……。という感じで思考はここで詰まってしまう。

 

⑤円環構造

 作中のホルガのシステムが円環構造を成していることは言うまでもない。

 ホルガのひとびとのセリフには「cycle」という言葉が登場するし、四季の回転、円環をなす舞踊、そして老人の死が新たな生命に繋がるという死生観がやはり「cycle」である。そして先述の畜産・農業といった営みもやはり四季に支配された円環である。

 しかしながら、ホルガの生活の実態はあくまで外部からの供給に依存している。ここでいう供給は人口、遺伝子の供給であると同時に、生活物資の供給も含む。ホルガ村が文明圏から独立しているかというとだいぶ怪しい。村の生活にも随所に工業製品が登場することから分かるように、彼らも近代文明の前提の上で成立している。前近代ならまだしも、現代において彼らがその伝統を続ける必然性はもはやなく、そのシステムは形骸化しつつあるということは見逃せない。*9

 実際、④で考えた大祝祭のシステムも合理的とはいえない。どちらかというと、「かつては合理的だった仕組みが、その儀礼的外枠のみ残してタブーとして保存されてしまった状態」に見える。90年周期というシステムの非合理性もこのあたりに説明を求めることができるのではないか。つまり、90年単位という長いサイクルの中で「大祝祭」のシステムの合理的部分が劣化したその結果が現代に表れているというふうに捉えることはできないか。

 そして形骸化し、劣化したホルガシステムの行き着く先は単なるカルト宗教に他ならない

 そのあたりにアイロニーとしての、この作品の真骨頂があると思った。

 

 

*1:あとこれはホルガという思考実験の話であって、文化人類学ではない。

*2:具体的にどのあたりが普段の夏至祭と違うのかは明示されない。後述。

*3:都市部との行き来にどれだけ時間がかかるか、作中で明示されていたはずだ。

*4:映画の観覧中、「ホルガでは九年ごとにしか子供を産まないのか?」とも思ったけどさすがにこれは違いそうだ。そうだったらすべてが9の倍数で揃って綺麗だけど、作中で登場する子供の数やマヤの妊娠のタイミングとも合わないし。まぁ9年周期をまったく無視しているわけではないだろうけど。

*5:そもそも実際に行われている夏至祭を参考にすれば別にこの点は改めて言及するまでもないことかもしれない。でも極夜で冬至祭やってる光景もそれはそれで絵になりそう。

*6:あと「皮剥ぎ」の作業もまさにそうだった。

*7:あと布を二人がかりで雑巾みたいに絞ってるシーンもあったよね。

*8:メイクイーンも毎年選抜してるっぽいし。劇中の写真参照。

*9:だって劇中に出てきた規模の家畜と畑から考えて、村全体の生活を自給できてると思えない。