五等分の感想/チェーホフの銃は五発装填

 「五等分は本格ミステリです」などと云っても誰も信じてくれないし、「天才か?」と思うような回と「そうはならんやろ」みたいな回が交互に来るこの漫画の何が面白いのか自分でもよく理解できていないし、まぁじゃあここらで少し真面目に考えてみたら良いんじゃないの? という話ですよ。

 

五等分の花嫁(1) (講談社コミックス)

五等分の花嫁(1) (講談社コミックス)

 

 

五等分の花嫁』はラブコメ漫画であって、トンカツを六枚におろしてトリックを察する推理小説でもないし、売れない小説家・美袋三条先生が書いたカスみたいな本でもないし、当然ながらゴッド・オブ・ミステリのデビュー作でもなんでもない。あたりまえ。

 話は簡単で、中野家の一花、二乃、三玖、四葉、五月というどうしようもなく勉強のできない五つ子姉妹を無事高校から卒業させるために家庭教師をやるという話であって、そこにはトリックの入れ込む余地などない……と思う。

 

 じゃあ結局『五等分』ってどういうところが面白くてどういうところが本格ミステリなのか。以下、多少展開を説明するところはありますが未読者の興を削ぐようなネタバレはしていない(はず)です。

 

『五等分の花嫁』は、お話としてチェーホフの銃の使い方が異常に上手い。

 チェーホフの銃というのは、さり気なくお話に映り込んだ品物があとあとになって活用されるというアレである。『バカテス』でいうムッツリーニのカメラである。

 いわゆる「伏線」と同一視されることもある概念ではあるけれど、ここではもう少し用法を狭めておきたい。ここで云う「チェーホフの銃」とはつまり、一度画面に登場したアイテムを別の場面で別の形で利用してしまう作劇テクニックだ。

 

 その要素が顕著なのは、第五話〜第六話(1〜2巻、アニメ三話)の自動ドアの使い方。当初、主人公・上杉風太郎と姉妹の生活レベルの格差を示す小道具として登場する、中野家のマンションロビーにあるオートロックの自動ドア。それがあとになって二乃との物語に重要な役を担う。具体的に云えば、怒りのあまり鍵も持たずに飛び出した二乃と自動ドアの外で遭遇し、気まずさゆえインターホンを使いたくない二乃とともに戸外で誰かに開けてもらうまで待つというシーンに繋がる。オートロックという仕組みがなければ成立しないシナリオだ。

 このように非常に巧妙な形で使われるチェーホフの銃の例としては、他に4巻での防犯センサー、6巻のミサンガなどが挙げられる。特に7巻での「最後の試験」の連作では三学期の出来事を五つ子それぞれの視点から別々に描くという趣向が凝らされ、『喧嘩商売』の最格エピソードばりのキャラクターエピソードを、チェーホフの銃の多用によって重層的に成立させている。*1

 さらに云えば、先述の自動ドアのギミックもその後の話で繰り返し効果を発揮する。例えば3巻での期末直前の五月との和解などのシーン。あるいは6巻ラストでの新生活開始の場面。『五等分』においては一度使われた小道具がその後も何度も意味を持つ。

 

 で、もうだいたい云いたいことは察せられると思うのだけど、つまりこのチェーホフの銃の使い方は非常に本格ミステリとの相性が良い。なんといってもチェーホフの銃の根底にある無駄のない小道具の利用は本格ミステリ的にもホットなテーマだ。

 そして事実として『五等分』はミステリ的な騙しをちょくちょく使ってくる。まぁチェーホフの銃を使いこなしている時点で実質エラリー・クイーンみたいなところはある。*2

 

 せっかくなので『五等分』がいかに本格なのかというあたりをもう少し掘り下げてみる。

 そもそも『五等分』は、風太郎の過去に纏わる「出会い」の物語と、未来に待つ「結婚」の物語の間を埋める形で存在し、「主人公の将来の結婚相手は誰なのか?」というフーダニットに立脚している物語だ。読者は第一話の時点で「風太郎が五つ子の誰かと結婚するらしい」という事実だけ知ったうえで作品を読むことになる。

 これはもはや門前典之が『屍の命題』で冒頭に「読者への挑戦状」をおいて採った手法と同じである*3

 現在の物語はすべて未来に待ち構える結婚相手の指名に至るまでの、ミステリ的に云うなら「問題篇」に他ならない。*4

 そういうマクロの、作品全体レベルでフーダニットが成立していることに加え、ミクロレベルでも謎解きの趣向はある。しかしこれはなんか、あまり説明するのもアレなのであえて説明しない。その眼で確かめて欲しい。だいたい話が進むほどそういう趣向のが増える。

 ちなみに最新8巻の「スクランブルエッグ」は『嘘喰い』でいう「業の櫓」篇ばりの(俗人には理解の及ばない)頭脳戦が展開されるので、刮目せよ。*5

 

 ……などと褒めてばかりいるのはアンフェアなので「そうはならんやろ」の部分にも一応触れておく。『五等分』はところどころに雑な部分が多い*6が、一番の問題は「都合の良い展開の使い回し」だと思う。

 その最たるものが「ふたりの会話中に事故が起こる → あぶな〜い → 迫 真 の 大 ゴ マ」みたいなやつ。そもそもラブコメ自体でお約束みたいな感のある展開ではあるけれど、あまりにもなんのためらいもなく多用されるので驚く。

 あと五つ子入れ替えトリックの話が多すぎる。美袋三条もびっくりのレベルである。これを見ると、まいどまいど手を変え品を変えやっていたおそ松さんとかは偉かったのだなと分かる。*7

 なんか他人の家にしれっと侵入している話も度々出てくるし、偶然会いましたみたいな場面が多すぎるし、「ここで○○したカップルは将来結ばれるスポット」のネタに至ると二回も使いまわしたうえ、セルフツッコミまで入れてくるので作者の頭はどうなっているのか不安になる。*8

 

 そういうわけで『五等分』は異常に上手くチェーホフの銃を使いこなしつつ、テンプレを切り貼りして作られている。もう賢いのか頭が悪いのか分からない。しかしセンス・オブ・ワンダーなのは分かっていただけたと思う。*9

 とりあえず未読の方に云えるのは、林間学校編の終わる四巻まではアニメより先に見といたほうが良いんじゃないかな〜ということです。*10

 あと髪を切ったあとの二乃はめちゃめちゃ強い(遺言)。

*1:ほとんど入江無一対上杉均じゃん。

*2:唐突に雑になるな。

*3:唐突に雑になるな。

*4:実際、犯人探し的な要素を自覚的に入れ込んでいたり、五つ子の見分けをいかにつけていくのかが主題になる話も(特に5巻以降に)多い。

*5:これは嘘でも誇張でもなんでもない。

*6:林間学校初日のアレとか。

*7:とはいえこれに関してはネタを多用したことも含めてメタ的に利用しつつある感もある。

*8:誤解のないようにしておきたいのだけど、先述のチェーホフの銃的テクニックはこの手の使い回しとはまったく違う。あれはあるアイテムをいくつもの角度から劇の小道具として拾い直す手法であって、無自覚的に、演出としてマイナスになるような形でまったく同じ展開を使い回すのとは訳が違う。あと天丼ネタとかそういうのでもない。

*9:便利ワード。

*10:追記:アニメスタッフは筆者のイメージ以上に頑張ってた。それなりに効果はあった。でもやぱり原作を先に読んどいたほうがベストだと思う。